『からみ学入門』
皆さんは、カラミストという言葉は、ご存知でしょうか。
私は、いま、カラミストとカミツキストという新語(当時)をつくって、「からみ学」を唱える、なだいなださんの『からみ学入門』という本を読んでいます。
普段、何か事件が起きると、電話をかけてきて、愚にもつかない質問を投げかける記者に辟易とした著者は、ある日、奥さんとの会話で、妙にからんだことに着想を得て、電話をかけてくる新聞記者や雑誌の記者にからむことを思いつきます。
ー ぼくのところに、電話をかけてくる新聞記者雑誌記者にからんでやろう。ともかく、からんでやろう。とことんまでからんでやろう。
かくして、ぼくはカラミストとあったのであった。われ、いかにしてカラミストとなりしや、という問に対する答が、ここにある。(p.17)
(引用終わり)
この話は、人にかみつくカミツキストではなく、しらふで他人に堂々とからむカラミストになることを提案するという痛快エッセイです。よくよく考えれば、ソクラテスやプラトンに始まり、昨年流行ったマイケル・サンデルまで、カラミストではないでしょうか。
ところで、この本を私が知ったのは、民事裁判の尋問についての日弁連研修です。上手に証人にからんでいくことが尋問の要諦であるということで、ご紹介いただきました。決して、カミツキストになってはいけない、と。いらだたない、こちらに有利な話は何度も話させる、逃げられないようにする、等。民事の尋問や普段のヒアリングに役立つエッセンスが沢山あります。
しかも、この本には、尋問に役立つという以外にも、多くの知恵があります。特に、普段の思い込みから脱却するための知恵、ゆったり考えて本質を見抜く視点等を得るためにも、お勧めの一冊です。その知恵の一部をご紹介します。
ぼくは世の中には、どうしてこうも正義派が多いか、と思った。その新聞記者などは正義派の代表のようなもので、大久保清に対して、しきりに、ふてえやろうだと怒っていた。こんなに正義派が多くて、それにもかかわらず世の中が不正だらけなのは、ぼくにはなんとも理解しがたいことである。だが、それよりも不思議なことは、この世の中で、正義派同士のあいだで、それもつかみかからんばかりのけんかが、しばしば行われることである。まあ、ヘーゲルが、なにかの本に「悲劇的なのは、われわれの世界にある対立が、正義と邪悪の対立ではなく、正義と正義の対立であることだ」と書いたのも、うなずけぬことではない。(p.33)
新聞の社会部記者の正義感とか、公憤とかいうものが、彼の仕事上のいらいらから出た私憤にすぎない場合もあることを認識した(p.43)
カラミストは、どんな正義にもたじろいではならぬ。また自分を正義派の味方と、安易に考えてはならない。(p.43)
わかったというのは、日本語では決してわかったことではなく、多くの場合逃げ口上なのである。わかった、わかった、と二回続けたら、絶対逃げ口上と思うべきだ。(p.57)
地べたにはうかぼちゃは、どこまではっても、地面しか見ることはなかろうが、相手にからんではいのぼるつる草は、高みからの見通しをえるだろう。(p.69)
相手がつまらぬことと思っている問題には、カラミストは、できるだけ大げさに答えねばならぬのである。そうでないと、どうしても相手のペースにはまってしまうことになる。(p.78)
(引用終わり)
このあたりで辞めておこうと思います。私が、読んでいて楽しくなってきましたので。それでは。