『証券分析』より
とある本に、このような記載がありました。
投資銀行のモラルの崩壊
もうひとつの問題は、投資銀行の立場と投資銀行に対する一般投資家の態度である。つい最近まで大手投資銀行は、顧客の利益を守りながら自分も利益を上げるというやや矛盾する難しい役割をなんとかこなしてきた。投資銀行の名声と存続は販売する商品の安全性にかかっているため、投資家は顧客としてもまたその倫理にも守られてきた。投資銀行は顧客といわば信託・受託の関係を結んでいると考えられてきたし、自らもそう信じていた。しかしX年にいたって、名声のある投資銀行が営々と築いてきたこうした安全性の実績は全面的に崩壊したのである。発行される証券の多くは劣悪なものであり、しかも一般投資家に対する情報の開示方法にはさまざまな問題があった。こうした投資銀行のモラルの崩壊で一般投資家にはリスクの大きいいかがわしい証券が大量に販売された結果、それらの投資家が被った損失は巨額なものとなった。(「X年」の部分のみ、原文から変更。)(引用終わり)
これは、まるでサブプライムローン問題で、複雑な金融商品を設計して、投資家に販売した結果、リーマン・ショックに陥ったわずか数年前の指摘のように読めます。しかし、これが記載された本、『証券分析 【1934年版第1版】 』が執筆されたのは、1934年であり、「X年」の部分に入るのは、「1928~29年」です。人間社会が如何に同じような過ちを繰り返しているのかが、この指摘からわかります。
この本は、ベンジャミン・グレアムという「現代の証券分析の父」と言われる人が書いたもので、証券分析の永遠の古典、投資界では比類のない古典、不朽の名作等と評価されてきたものです。以下のような目次となっており、今となっては時代遅れの部分や不足していると思われる部分がないわけではないと思いますが、多くの部分が、現代日本の経営者や投資家、証券会社や銀行のファイナンス担当者、会計士・弁護士等のプロフェッショナルが読んでも、遜色のない内容です。
第1部 証券分析とそのアプローチ
第2部 確定利付き証券
第3部 投機的な性質を持つ上位証券
第4部 普通株の投資理論
第5部 損益計算書の分析と普通株の評価
第6部 バランスシートの分析―資産価値の意味合い
第7部 証券分析の捕捉的要素―価格と価値の矛盾
ちなみに、第6部第44章には、「無関心で従順な株主たち」という表題で、「アメリカの株主たちは、極めて従順かつ無関心な、捕らえられた動物だとよく形容される。彼らは取締役会の言いなりで、ビジネスの所有者として、また雇われ幹部の雇い主としての個人的権利を行使しようなどということには、思いも及ばない。その結果、多くの、おそらくは大半のアメリカの大企業において、事実上の支配者は、株の過半数を保有している株主たちではなく、「経営陣」と呼ばれる小人数のグループなのである。」(原文ママ)という記載があります。アメリカの投資家や一部のアクティビストと呼ばれる投資家が、少し前に、日本の株式市場に対して、述べていたようなことと同じことが言われてます。
金融の世界も法律の世界も、時代が変わっても「変わる部分」と「変わらない部分」があることを実感します。そして、その「変わらない部分」は、人間の業ともいうべき性質と切っても切り離せないものかもしれません。